コンサートツアーin東北と被災地巡り



















「心に花を咲かせよう」コンサートツアー
心の復興コンサートin亘理

10月28日宮城県亘理町の仮設住宅内特設テントおよび
集会所で午前午後2回公演が行われた。

合唱:心に花を咲かせよう合唱団
指揮:山田和樹
ピアノ:寺本沙綾香



新幹線は途中から東北の「はやて」と秋田の「こまち」に別れるため

このような仕様になる。






亘理町に入る。合唱団員は昨日から活動開始。






仮設住宅へ90を超す棟が並ぶ大きな仮設。隣のまた隣のテレビも聞こえるそうで、

子ども達は集会所でないと勉強できない。

ペットを飼える棟は限られている。1年半後に飼い主と再会した猫もいるとか。

商店もある。食事処も、郵便局もある。全部仮設。








巨大テントでコンサートは開始された。150名以上のかたが聞きにいらして下さって、

一同感激。立ち見の方々も。








午後からは場所を集会所に移動して開催。











手作りの折り紙手芸をいただいた。こちらが励まされている感じ。








感動のコンサートも終わり皆と別れて、団員の子ひとりと被災地巡りの旅。

前回は宮城北部と岩手南部。今度は宮城中部である。









名取市のホテルに泊まり、翌日、名取市閖上地区という凄惨だった地区を

見てまわる。







瓦礫は片付いている。所々に取り払われていない建物が、無残な姿を残している。


お寺が2つあった。向かい合っていた。残ったのはこれだけ。ビニール袋に

遺骨の収集袋と書いてあった。







なんにもない!墓地の基礎だけが残っている。雑草だけがはびこって。







日和山
カメラがピンぼけなのがどうしてなのか訳がわからなかった。

おかしいなと思いつつ、旅の終わり近く、ソフトモードになっていたことを発見。

こんなのあったんだ・・・。持って移動しているうちに、あちこち動いて当たったらしい。







ポツンと1軒残ったかまぼこ工場「佐々直」さんとその内部















閖上(ゆりあげ)中学校







あの時刻のまま止まっている時計。

忘れもしない2時46分を指して・・・・







中学生14名が亡くなった。机に寄せ書きが痛々しい。







老人ホームへいく。窓が壊れて入ってきた海水に、老人達は逃げ場を失った。







きれいさっぱり片付いている。瓦礫で足の踏み場もなかったところだ。

そしてその前は、軒を接してひしめき合った平和な住宅地だった。





















仙台市若林区の海岸





防波堤に残る津波の跡





船が難破している。






この空も不気味だ。







法要の団体と僧侶の読経の声がくぐもる。







仙台を後にして、多賀城市、塩竃市へ入る。

いずれも痛々しいほどの傷跡はもう見えない。1年半たっているからだろう。

前回廻った石巻から北の方、女川、南三陸、気仙沼、陸前高田、大船渡は

凄まじく遅れている。あちらはまだ、本当に酷い。



次いで松島町、観光の名所である。

松島町は今年の春訪れた。湾が入り組んだ地形が幸いして、ここは

比較的災禍はすくない。

その松島町を素通りして、被害の大きかった東松島市へ。

小野の仮設住宅を見る。





海側へ出たら、やはり残骸は幾つもあった。



















ここから石巻イオンモールへ。遅い昼食、牛タンを食し、長距離バスで仙台へ。

帰途につく。












東北は福島と岩手北部を除いて、3度見て回った。

一回は青森まで他の用事を兼ねて。二回、三回が本当の意味で被災地へ。

いま復興している途中の様子を見て、その格差の大きさを

しみじみ感じた。

格差の違いより以前に、仮設住宅の期限の問題がある。

ちりぢりになった被災者の帰還問題。

これらの問題点を国としてどう対処するのだろう。

いろいろ見聞して、自分の価値観までもが大きく揺らぐのを感じた。

私達はみんな、被災地を、被災者を、忘れてはならない。



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2012年10月31日 | コメント/トラックバック(0) |

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東日本大震災被災地をめぐる旅(付・東日本音楽祭)

東日本大震災被災地をめぐる旅をしてきた。




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被災地が気がかりでならなかった。
今回の東北訪問の旅は、もう一つの「被災地巡り」という
大きな目的を持つ。

前回少しだけ東北をめぐったが、他の所用のため奥地が多かった。

今度は音楽祭のあと、一人で被災地をじっくり見て回ることにした。

まず
10月13日(土)東日本音楽祭が岩手県一関市で開かれ、

そこからスタートした。
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「心に花を咲かせよう合唱団のうたう、「あすという日が」と
「心に花を咲かせよう」他の素敵なハーモニーは感動的だった。
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「あすという日が」を演奏中、私の斜め前方に座っていた女性が2人も、
ハンカチで涙を拭っている姿が、目に飛び込んできた。
大きな拍手とひときわ大きなブラボーの声が、印象的だった。
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「心に花を咲かせよう」の時も拍手の終わり頃、控え目なブラボーが聞こえていた。
ブラボーの声をかけてもらえる団体は、そう多くない。
ありがたいことである。

全音楽譜仙台営業所長が声をかけて下さった。9月7日東京のコンサートにいらしていたとのこと。

「心に花を咲かせよう」の楽譜、CDを販売してくださっていた。

終了後合唱団員と写真撮影。





被災地の旅が始まる。

まず宿に苦労した。ことごとく満員で、やっと三日前、小牛田(こごた)に見つけた。
一日目は音楽会と小牛田へ向かうだけで終わった。
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翌日、早起きして、まず電車で石巻に向かう。
駅前のタクシーに相談。貸し切りにするか、距離にするか。
距離でやってもらったが、結果はほぼ同じだった。
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6.9メートルのポール。ここまで津波が来た。
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日和山公園から災害を受けたところが一望できる。
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これは飾られていた震災前のプレート写真。

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すべて流された。島の白いドームは石ノ森章太郎ミュージアム。

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近くに日和幼稚園がある。地震の後、スクールバスで
出発して、津波に呑まれた。園に残っていれば助かった。
現在、父母の間で訴訟問題になっている。

欠けた自由の女神。近くの車と比較。大きさがわかる。
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門脇(かどのわき)小学校はプロパン爆発、火災の惨たらしさを見せつけている。
長渕剛が紅白歌合戦で歌った校庭で、凄まじい校舎をバックに、
明るく子供たちが野球の練習に励んでいる。

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なんにも無くなった。びっしり家が建っていたのに。雑草ばかりはびこっている。
雑草は強い。
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みずほ幼稚園では園長先生の機転でクリスマスに使ったサンタクロースの

ぬいぐるみを園児に着せて寒さを凌いだ。



市立病院の屋上は避難した人々をヘリコプターで救助した。
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瓦礫だけは残っている

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ビルの残骸。周囲の家はなにもない

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瓦礫を寄せ集めて、纏めても、片付かない・・・・・

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まだまだ残る。

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このままいつまで放置するのか。

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日本製紙石巻工場は動いている。

日赤病院も文化センターも機能していない。

この辺はきれいな公園だった。

大きな水産工場も荒れたまま。

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まるまる太ったカモメが日向ぼっこしている。
浮いてくる魚、加工中の魚、工場は機能しない、食料は周辺に溢れている。
このカモメたちも犠牲者だ。飛ぶことを忘れて・・・・・・。

この辺一帯は、悪臭がひどい。

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鯨の缶詰か?近くの工場の中にいっぱい放り投げてある。

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大手の企業は再建に向かう。

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女川湾に着いた。
大きなビルが倒れたままになっている。
近くの車と比べてその大きさがわかる。

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水が引くのに4日間かかった。

ボランティアが来たのは1ヶ月ぐらいたってからだった。

行政は何をしている。
しかし働かねばならぬ。
さあ、船は操業だ。
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穏やかな海
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心に痛いほどの青空。

その下に瓦礫の山。地面から二階建てぐらいの高さ。
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仮設の住宅。

冬は耐えられるのだろうか。

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雄勝地区へ入った。

ビッシリだった所が今は何もない。
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雄勝町の庁舎だ。

すべてプレハブ。

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雄勝硯伝統産業館と雄勝石ギャラリーも
営業していた。
小さなバラックで、簡易トイレで。
前は多分立派な建物だったであろう。
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商店街があった。



この公民館の屋上にバスが乗っていた。

バスは下ろされて横に置かれた。

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これが下ろされたバス。
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雄勝小学校も悲惨
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玄昌石の山
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雄勝中学校も
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大川小学校。

70人余死亡。4名不明。

裏の杉林に逃げれば助かった。

マニュアル通り近くの空き地に逃げた。

2~3人の生徒と先生が杉林に逃げて、助かった。

生き残った子達は、死亡した子の親にいじめを受けている。

その時の先生は・・・自殺した。

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訴える人はいる。

マニュアル通りに避難した発想・・・

結果論でしかない。

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慰霊碑が出来ていて、詣出る人は絶えない。

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塩害で枯れた木立。

茶色いところまで海水が押し寄せた。

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新北上川は滔々とながれる。

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ここも波の高さがわかる・・・。樹が枯れている。

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突然線路が切れている。

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壊れた鉄道。

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廃屋の街

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田束山(たつかね山)には千羽鶴がかざられている。

「世界のみなさんありがとう」のことばが痛い。

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気仙沼線は女川から先は、不通。バスが代行運行。

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歌津駅前、仮設の商店街が営業中。

ここは駅前で賑わっていた。

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45号の歩道橋上には逃げ惑う人がいっぱいだった。

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避難所では

「お父さんごめんなさい、ごめんなさい」子どもの手を離してしまった母が

狂ったように泣き叫んでいた。

悲惨な光景だった。
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「おらあ、何にも悪いことしていないのに・・・

神様はどうしてこんなことをなさるのか・・・」

運転手さんの言葉が胸にささる。

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南三陸町を通る。

ホテル観洋の名物おかみはホテルを開放して

被災者を受け入れた。

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気仙沼でタクシーをおりる。

運転手さん、気仙沼から石巻まで帰る。

お疲れ様。お気を付けて!!

駅前のホテルへ飛び込みで入ってみる。

運良く一室だけ空いていた。(珍しいことだという、

ボランティアや報道関係でいつもふさがっているという)

奇蹟みたいなものらしい。

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サンマのお刺身とフカヒレの姿煮、美味しかった。



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翌日はやはり早起きして宿を出る。

気仙沼線は気仙沼で止まっている。大船渡まではバスかタクシー。

迷わずタクシーにする。

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気仙沼は高台もある。

地震の後、津波の一波が来たのは30分後だった。

病人が這っていっても高台へ行けた。

一波を見てそれから車で逃げた人が全部亡くなった。

津波を甘く見た。防災マニュアルをもう一度見直さないと

だめだと運転手さんは言った。



押し寄せてくる波は墨汁のようだった。

その中に発泡スチロールの白が、浮かんで、押し寄せる。

それを見ながら必死で逃げた。ほんとうに怖かった。

女性が多く死んだ。

彼女たちは家へお金をとりに戻って死んだ。

もっともっと犠牲者は減らせた。

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公民館へ皆が逃げる中、母親の判断で、自宅の三階に上がった。

その方が安全だと思った。子ども達は母に従った。そして犠牲になった。

公民館へ逃げた人は助かった。

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海岸に幼稚園があった。いち早く逃げた。こどもを迎えに行こうと、

父と母は別々に幼稚園に向かった。互いの携帯はつながらなかった。

父と母は帰らなかった。子どもだけが残された。

あしなが育英会(品川)がそういう子達を18歳になるまで

見ようと立ち上がった。



高田県立病院は医師まで命を落とした。

患者を放って逃げることは許されなかった。



気仙沼小学校の児童は、霙の降る寒いなか、親が迎えに来て

家へ帰った者が死亡した。

寒い中で身体を寄せ合って、学校に残った人は生き残った。



何を言っても、結果論である。

ああすれば良かったと、後から言っても、それは

運命でしかない。

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ここまで波が来てまだ水が引かない。土地は陥没している。

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青のりが陸に定着して育っている。

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魚が捕れても冷蔵庫がない。

船が入ると、輸送車が待っている。すぐ積み込む。すぐ陸送。

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気仙沼に

巨大な船が陸に止まっている。

大槌町にはビルの上に乗っかっている船がある。

この船は320トン。青の上部、赤の下部の境界線が吃水線。

吃水線が隠れないと船は浮かない。

ということは、あの境界線よりも上まで水が来たということだ。

そして船は流され、もっと内陸まで来た。

そして引き潮は速度が速い。また押し戻されて、ここに止まった。

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この気仙沼は火の海となった。夜通し炎が燃え盛った。

22基の石油コンビナートが壊れて石油が流れ出た。

流れ出ただけなら火災は起きない。

住民の家々では、プロパンのバルブを閉めないで皆が逃げた。

ボンベがぶつかる。火が出る。火が付く。ドーンと破裂する。

火災の町となって燃え続けた気仙沼市だった。

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ここには7万本の松原があった。

その中で一本だけ残った。奇蹟の一本松である。

ついこの間伐採した。防腐加工し、いずれまたこの地に戻される。

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この松原の横に気仙中学がある。

ここも廃屋になった。

犠牲者なし。山へ逃げて全員が無事だった。

アメリカへ流れ着いたバレーボールが、後に無事届けられたという

学校である。

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気仙沼市では屋根の軽い家は持って行かれた。

低い土地でも何十トンもある瓦の重さで耐え残り、

もっと高台にある家が流された。

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軒を連ねた町だった。

陸前高田市。市役所では戸籍が全部流失した。

市役所にいた人が亡くなった。

この付近は公民館、デパート、体育館、がビッシリだった。

軒を接した家が並んで、空き地はない。反対側は7万本の松原だった。

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土地が陥没している。





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陸前高田市は津波がビルの4階まで来た。気仙沼は3階までだった。

陸前高田市は広田半島と唐桑半島にはさまれた、志津川湾の根元にある。

両側から波が拡幅された。

アパートの4階まで波の跡がある。5階はベランダのフェンスが残っている。

このアパートは2棟。前のアパートは波をかぶったが、後ろの棟は無事だった。

前のアパートが防波堤になって防げたのだった。

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大船渡に入りタクシーとお別れ。細かく説明してくれてありがとうございました。

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大船渡漁港
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ややもすれば忘れかけている震災。

復興はまだまだされていない。

この目で見てきた1年半後の被災地の模様を、

自分だけの記憶として残すので無く、一人でも多くの人に、知ってもらいたくて

書き留めた。

この旅で声を交わした多くの人々。みんな穏やかな笑顔で話してくれた。

宮城県の人、岩手県の人、みんなやさしかった。

光景を眺めてともすれば笑顔を失いがちの私を、逆に励ましてくれた。



いま思う。兎に角みんな行って欲しい。

そして自分の目で見て、被災地で消費し、物を購入し、

お金を落としてほしい。

それが我々の出来る、一番手っ取り早い復興支援なのだ。



国の計画が前に進まない。復興予算の使い道が見えない。

関係ないところに補助金が使われている。



我々はじっとしていてはいけない。

出来ることから支援しなくては。

こちらで開かれる物産展でもいい。アンテナショップでもいい。


帰りのバスで、車窓を眺める。

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大船渡から帰るのは、鉄道が不通のままなので、代替バスしかない。

長距離バスで帰途につく。一関まで特急の路線バスで2時間半。

途中トイレ休憩がある。

一関から新幹線で旅も終わる。

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お土産を購入した。

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「出発するのです」の歌について














ある人から相談のメールを、ホームページの問い合わせ欄に戴きました。

この人は今44歳になる人と思われます。
約30年前の1983年、小学校を卒業しましたが、卒業する時に、
私の作詩した「出発するのです」を歌ったということでした。

これから中学生になるという高揚感とクラスメートとは、
ばらばらになるという寂しさを感じながら一生懸命歌ったそうです。



その後、高校を卒業し、1986年に就職で上京。
それ以来、当時の仲間とは会うことは無かったと言うことでした。

それが、近頃SNSを通じ10人ぐらいの卒業生と連絡がつき、
互いに声を掛け合って、今度のお正月に40~50人で同窓会を開くまでになったそうです。



そしてその時に「出発するのです」を是非歌いたいと言ってきました。

CDが欲しいということでしたが、いろんなCDが沢山出ている中で、
「出発するのです」だけがないのです。



この歌は実に多くの人に、親しまれて来た曲です。
現在は国語の教科書や、補助教材、塾の問題集などに掲載され
みんなが「詩」だけで学んでいる作品なのです。

これも「あすという日が」のように卒業式には欠かせない詩なのです。
近年「呼びかけ」で卒業生全員が唱和しあって式典を盛り上げるなど、
とても多く使われています。



楽譜は私の手元にあります。しかし一般の方なので楽譜ではなくCDで聞いて
全員に思い出してもらいたいということした。
(実は数年前にも別の人から、同様の申し出を受けたことがありました)



多くの皆さんの熱い思いにお応えしたい・・・。
子ども達の為に歌を書き続けて来た者として、
長い年月を経て心の引き出しから取り出してもらえる歌、
幼い頃を思い出して戴けるうたを書くと言うこと、
また当時を懐かしむよすがとして、そこに歌があるということは、
ほんとに嬉しい感動的なことです。
これ以上の作家冥利に尽きることはありません。





小・中学生の時の純真な気持ちを、思い出し童心に返る・・・
それを私の歌がお手伝いをしていると言うことは、
ほんとに感謝してもし尽くせないありがたいことだと思います。
私は何て幸せな生き方をさせてもらっているのかしらと、しみじみ思います。
これもみんなの力あってのこと。
作曲者、学校の先生、そして純真な子ども達、みんなに恵まれて
私が生かされます。



今回の照会に対して私は考えました。
想い出の手助けが出来ないものかと。
2~3人の小学校の先生またはソリストの方に声をかけたら、
きっと協力してくれるでしょう。
そして録音したものを先方に送りましょうと・・・
「出発するのです」簡単な歌です。



その心づもりをお伝えしたら
「心の穴が埋まってきているのを感じる」と長い喜びの返信がありました。

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2012年10月9日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:ブログ 楽譜

今日は撮影でした。


















今日の撮影はとても楽しく、エキゾティックな雰囲気を味わえました。

都内で私が最も愛する場所ベスト5の中から、2カ所を選んでの撮影でした。

ワゴン車のお迎えです。

途中本物のモデルさんが厚手のコートをまとって撮影していました。



やはり凄腕カメラマンの画像は違います。

即座に見せて戴きましたが、
この私がですよ、つまりどこから見てもこのUglyがですよ、
思わずニヤッとして「ワー」と言ってしまったのです。

 
版権の問題がありますので、ここにお見せすることは出来ません。^^

 
同行した女性が「まるでパリのよう・・・」と言ってました。
(あ、これは風景ですけどネ)
終了後ご馳走して戴いたお食事の美味しかったこと!!

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