大阪芸術大学のプロムナードコンサート

8/24は大阪芸術大学のプロムナードコンサートを聴きに
大阪フェスティバルホールへ行って参りました。
芸大で教鞭を執っていらっしゃるS先生のお招きです。
未来に羽ばたく卵たちの見事な演奏ばかりでした。
昨年は私の「心に花を咲かせよう」が演奏されましたが、
今年はそのことに触れながら、生徒の言葉を集めた
「群青」を見事に演奏し3.11とそれによって引き起こされた
原発事故を偲びました。

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2017年8月24日 | コメントは受け付けていません。 |

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「詩と音楽の出会い」というコンサート

今、私にとってとても嬉しい大きな仕事に取り組んで
いる最中のため、そちらを優先していまして、
以下の記録がすっかり遅れてしまいました。

8/19の報告です。
「詩と音楽の出会い」というコンサートに
行って参りました。この会はサブタイトルに
「シューマンに酔いしれて」「同詩異曲を味わおう」
というテーマを掲げたもので、バリトンの山口茂己氏の
リサイタルです。私が興味を感じたのは
「同詩異曲を味わおう」という部分でした。
ゲーテの「魔王」を
  曲「シューベルト」と「レーヴェ」
ゲーテの「ただあこがれを知る者だけが」を
  曲「シューベルト」「シューマン」「チャイコフスキー」
   「ヴォルフ」
加藤周一の「さくら横ちょう」を
  曲「中田喜直」「別宮貞雄」
北原白秋の「砂山」を
  曲「中山晋平」「山田耕筰」
ゲーテの「野ばら」を
  曲「シューベルト」と「ウェルナー」
といった形でそれぞれの詩を紹介、内容を解説してから
別々の曲を披露すると言った形式でした。

それらは大変興味深く、それぞれの作曲家の感性と
詩に対する受け止め方の相違点が現れていて、思わず
引き込まれました。
並べて同じ詩を演奏される機会は、なかなか無いので
大変おもしろい企画だったと思います。

我が身に照らし合わせても、このように同じ詩に
別々の作曲家の曲がつく場合が非常に多いので
特に関心があります。。
これはその詩が人に訴えかけるものを、強くもっているからで、
それを感じた作曲者が感動を表したからだと、勝手に解釈して
いまして、詩人の側から申しますと、それはそれは大変
名誉なこと、いえ、これ以上名誉なことはないのです。

詩集に載って出版されている作品は多くの方がご覧になって
居るわけで、そのようなことが起きるのはよくあることです。

NHKなどから委嘱を受けた場合はそのように附記していますし、
委嘱料が存在した作品などは載せていませんので、問題は起きません。。
また特殊な個人とのコンビ作品としてその方のために書いた
動かせないものは、その旨添え書きしております。
ですから詩集の中から選んで作曲した作品が、後に有名になったけれど、
別の方の作曲もすでに存在しているということも、当然起こりえます。

世の中には、企画としての競作ということもあります。
同じ詩に別の方が曲をつけるのを、とても気になさる作曲家の方も
いらっしゃるので大変難しいところですが、詩が先にあり
既に出版されている場合などは、詩の心と曲の心とが
ぴったり一致して、万人の心に染みこむ名作が生まれることも
順番を問わずあるのだと思います。

しみじみ、今回の演奏を聞きくらべ両者が並んで演奏される
という素晴らしい企画をセッティングして下さったバリトンの
山口茂己氏の英断に感涙しました。

また山口氏の柔らかな語り口は素晴らしく、詩の雰囲気に合った
朗読の調べと解説が一層作品群を引き立たせ、あたかも
詩と曲が生まれたその場に居合わせたような、自分が主人公で
あるような錯覚すら覚えるリサイタルでした。

帰り道、美しい神戸の西神中央駅周辺の景色を楽しみ
「牛タンひつまぶし丼」を頂いて参りました。

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2017年8月19日 | コメントは受け付けていません。 |

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「みなとこうべ海上花火大会」

8月5日(土)は「みなとこうべ海上花火大会」でした。
メリケンパーク沖の海上、新港突堤で、開港150年に
ちなみ15000発が打ち上げられました。
お天気に恵まれ、ポートタワーのサポーター席で堪能
してきました。
携帯ですし、レンズ越しばかりでは意味ないので、
撮影はそこそこです。

ジャンボフェリーと県警の船

日没前、遠くに六甲のやまなみが。

遊園地の観覧車がどんどん色が変わります。

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2017年8月5日 | コメントは受け付けていません。 |

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【詩の解釈と読み方並びに音楽的表現に与える影響】

ある指揮者の方から問い合わせがあったそうで、
某作曲家の方から質問が寄せられました。

私の作品「たった ひとつ」の中で
「これから歩いて 行く道が」の「行(い)く道」と
「生きていく 力となれるもの」の「生きていく」
の2箇所をそれぞれ「行(ゆ)く道」「生きてゆく」と
歌ってはいけませんかというものです。

【私の返信】から抜粋

さてお申し越しの件

結論から申し上げますと
「これから歩いて 行く道が」は、当然「ゆくみち」が正解です。
「いきていく 力となれるもの」は、 正直言って「いく」でも「ゆく」でも
どちらでもいいです。単に発音のゆれですから。
好みの問題で私はここでは「いく」を採用していますが
指揮者の方が「ゆく」のほうが、音楽的に、はるかにいいと
おっしゃるなら、「ゆく」で歌ってくださって何の異存もありません。
よろしくお願いしますとお伝え下さいませ。


蛇足ながら
そこに至る考えを書いてみますと、
「行く」が本来の場所の移動を意味するならば「行く」でよいです。
たとえば「道は険しいが頑張って行こうと思った」などです。

それに対し
「動詞+ていく」のように【時間的な継続】を表す場合
ひらがなで「いく」と書くのが原則です。
たとえば「これから先大変なことが多いだろうが一生懸命
生きていくつもりだ」などは「いく」が適当かと思います。
漢字だから間違いだというわけではなく、小説などでは
どちらも使われています。

そこで読み方なのですが
これは言葉の「ゆれ」でありどちらもまちがいではありません。
口語的には「いく」 文章的には「ゆく」。昔はほとんど「ゆく」。
現代は「いく」が基本という認識でいますが、・・・

もうひとつおまけの蛇足・・・
文化庁の『国語施策情報システム』の中に、
「国語審議会の記録」として次のような記述があります。
「参考資料」→「各期国語審議会の記録」→
「第5期」→「発音のゆれについて報告(3)」→「10」 に
「イク」と「ユク」(行く)も同じように考えられ,標準的な形として
口頭語的な「イク」を採るとしても,改まってものを言う場合や文章語では,
やはり「ユク」を使うこともあるであろう。
(ただし,「行くえ」「行く末」「行く手」「行く行く」などは「ユク」である。)
当用漢字音訓表では,「良」には「よい」,「行」には「ゆく」「いく」の訓を認めている。

となっています。
どうぞよろしくお願いもうしあげます。

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2017年8月3日 | コメントは受け付けていません。 |

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